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最近趣味でゴスペルを楽しんでおるのですが、奥の深い世界で、激しく楽しいです。
どちらかというと普段自分を抑えて生きている私にとってしてみれば、真逆の世界観で、それがいい。
近々コンサートがあって、二千人クラスの大ホールで歌うので、今は、歌を楽しむってよりは、デハケとか立ち位置とか構成とかの練習が多くて、それがちょっと残念だけど、歌うの自体は楽しくて好き。
ゴスペルとゆえば、某好きでずっと追いかけてる近畿小子(台湾での呼び名。日本名はまあ、あれだ、キ●キキッズなんですが) の ドウモトツヨシ の音楽活動、エンドリケリエンドリケリですが、やってることが殆どゴスペルの世界観で、ああ、なんだ、こんなところでアタシは縁があったのか、と、改めて感じ入る思い。
魂の叫びとゆうか、歌で伝える世界ってのは、いいもんですね。
人の吐き出す感情に呑まれ、理屈抜きで涙が出てくるような瞬間ってのは、なかなかないだけに、貴重。
日にちが過ぎてしまいましたが。
改めて。1日は、秀くんのお誕生日でしたv
秀はねえ。かっこよいよね。あ、知ってる?そうですね。これは、ルパ界の常識でしたね。
ゴスペルやってて凄く思ったのは、感情を剥き出しにするのって、けっこう勇気がいりませんか?
たとえば会った瞬間、いきなり心の扉を開け放てといわれても、自分だって困るし、対峙してる方にしても、いきなりなにを?と戸惑うと思うのです。
でも秀は違うよね。あのヒトは、いきなりあけすけだよね。
彼にはそもそも扉がないんじゃないかなあと思うのです。
何故だろう。経験値がないわけではないはず。
多分、ヒトとの付き合い方でも生き様でも、彼ほど経験豊富で、酸いも甘いも知ってる人間はそうそういないのではないかと。
なのにどうして構えることがないんだろう。怯えないんだろう。戸惑わないんだろう。
・・・・・結局は、根底の部分でヒトが好きでしょうがないんではないかと思います。
たとえば同じまっすぐな気質でも、遼ちんは、ヒトがどちらかというと苦手なイメージがあります。
人付き合いが苦手で、ヒトの気持ちを汲み取るのが苦手で、ヒトよりは自然、動物へとシフトしていったイメージ。
でも、秀は、どれだけ傷つくことがあっても、ヒトから逃げなかった。
それは、ヒトに囲まれて育った環境のお陰もあるのでしょうが、結局、ヒトが好きで好きで、しょうがなかったんだろうな。
よく、同じものを見ていてもまったく違う視点を持つヒトに、出会うたびに驚かされ、刺激を受けることがあります。
多分、秀はそういった意味で、他のルパ面に刺激を与えてる気がする。
彼の底抜けの明るさ、前向きさ、男前さ、情の深さ、ヒトへの無限大の愛に、伸や、当麻や、皆は驚かされ、その度にいい意味で自分を振り返るきっかけをもらえるのだと思う。
素敵なヒトです。秀ちん。
・・・・ってなんだ?語りすぎですか?自分!(笑)
秀。お誕生日おめでとう~♪